声劇×ボカロ_vol.72 『 センチメンタルな愛慕心 』
二つの想いと、一つの嘘
【テーマ】
臆病なあの日に
【登場人物】
林田 香弥(21) -Kaya Hayashida-
進学で地元より少し都会の町に来た女子大生。
一年間恋人だった人に思いを巡らす日々。
間宮 隼翔(24) -Hayato Mamiya-
地元の大学から地方へ就職した新社会人。
かつて付き合っていた人をふと思い出す。
【キーワード】
・かくれんぼ
・臆病だから嘘を
・二つの想い
・恋が実った日
【展開】
・大切な彼との日々。気持ちとは裏腹に、たった一言の「好き」はかくれんぼ。
・隼翔の旅立ちの日が近づく。離れてしまう隼翔に、やっぱり伝えられない素直な気持ち。
・思い出となった隼翔。後悔が残る香弥。
・あの時の気持ち。いつか同じ想いになる人が現れるその日まで。
《注意(記号表記:説明)》
「」 → 会話(口に出して話す言葉)
M → モノローグ(心情・気持ちの語り)
N → ナレーション(登場人物による状況説明)
※ただし「」との区別をつけるため、MおよびNは、:(コロン)でセリフを表記する。
また“N”の中に心情(M)を含ませることもあり。
【本編】
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香弥 N:初めは少し怖い印象があった。
でもそれはただ無口で、人見知りなせいもあったんだって、後になってちゃんと教えてくれた。
知れば知るほど好きになって、こんな私でいいのかなっていっつも考えて。
隼翔 「ん」
香弥 N:思い返せば、そうやって手を繋いでくるのは毎回彼の方だった。
言葉なんていらない。まるでそう言いたげな顔をして、戸惑うと首を傾げたりして。
本人は無自覚だったんだろうけど、そんなところも可愛くて大好きだった。
……うん、大好きだった。
隼翔 N:言葉にしなくてもわかる。そんな関係に憧れてた時期があった。
でもやっぱりあるのとないのとじゃ全然違うのが、周りを見てて感じたこと。
かと言って、自分も会う度に口にしてたわけじゃない。
手を繋ぐにしたって、自分の方が年上だし、そうすることが当たり前だと思っていた。
香弥 「ごめんね」
隼翔 「何が?」
香弥 「……ううん。なんでもない」
隼翔 N:そうやっていつも、どこか遠慮してるように見えた彼女。
手を繋いだり、キスをしたり、抱き合ったり。それだけなら、僕らは普通の恋人同士だったと思う。
ただそこに、大事なものが欠けてしまっていただけで…。
今ならわかる。あの時、気づかなかったことが。
香弥 N:彼を好きな気持ちは確かにあったけれど、自分から想いを伝えることはなかった。
告白された時も、本当はとても嬉しかったのに、私も同じ気持ちだと伝えたかったのに、頷くこと
しかできなくて。
大好きなのに、ずっと一緒にいたいと思った人なのに、私は臆病だった。
それがすべて。
それが今、私の隣に彼がいない理由。
隼翔 「ここでまた会えたら……。なんて、あるわけないか」
香弥 「あっ…」
隼翔 N:桜が満開の季節に、二年ぶりの帰省。
あの日二人で歩んだ桜並木は、今年も優しく風に揺れていた。
* * * * *
隼翔 「どうした?」
香弥 N:視線に気づいて、彼は顔を覗き込んできた。
本人は無自覚と言うけれど、絶対にそんなことない。……と言いたい。
私がすぐに顔を赤らめるのを知る彼だから、時々わかっててやってるんじゃないかと思ってしまう。
隼翔 「はは、なーに赤くなってんだよ」
香弥 N:桜並木をバックに、適度に伸ばした癖毛が風に揺れていた。
普段は無口でも人見知りでも、こうやって気さくに話してくるのは、私が彼の特別だから。
街中みたいな人が多い場所じゃ、絶対に見られない彼の一面。その笑顔。
見惚れるなって方が、無理がある。
香弥 「な、なんでもない」
隼翔 「あ、また赤くなった」
香弥 「うるさい。もう、早く行こ。みんな待ってるよ」
隼翔 「ん?ああ、もうそんな時間か」
香弥 N:今日は彼の友達がお花見をするとのことで、私も一緒に呼ばれていた。
私たちはその時間より早く待ち合わせして、桜並木をお散歩デート。
彼が就活で本格的に忙しくなる前に、少しでも二人きりで過ごしたかったのもあって。
隼翔 「悪い、遅れた」
香弥 N:雰囲気がガラリと変わり、そこには私が初めの頃に抱いていた印象の彼がいた。
ギャップというわけじゃないけど、ついさっきまで隣にいた彼は、本当に私に心を許してるんだな
と思い、嬉しさと愛しさが込み上げてきた。
この人の恋人になれてよかったな、って本当に思った。
だけど…。
隼翔 「ん。何飲む?」
香弥 「あぁ、うん。えっと…」
隼翔 N:まるで夫婦のようなやり取りに、周りは囃し立ててくる。
いちいち構うのも面倒だと無視すれば、野次まで飛んでくる始末。
そうやって夫婦に見えてることが嬉しい反面、俺の心は不安な気持ちがあった。
彼女と付き合ってもう結構経つのに、一度も彼女の口から自分への気持ちを聞いたことがない。
たったの一度も。
香弥 N:私たちは恋人同士。だけど私は、まだちゃんと彼に好きだと言えずにいる。
この先もずっと彼の隣にいたいなら、想いは口にすべき。そう思うのに、いざ言おうとすると、また
私は臆病になってしまう。
好きで好きで仕方ないのに、大事なことだとわかってるのに、口にすることがなんだか怖い。
何も怖いなんて思うはずないのに、それはわかってるのに…。
隼翔 「体調でも悪い?」
香弥 「う、ううん。大丈夫」
隼翔 「そか。………今西。悪いけど急用できたから、俺たち先帰るな」
香弥 「え?」
隼翔 「みんなは楽しんで。行こう、香弥」
香弥 「え、あっ…」
香弥 N:彼の突然の行動に、わけのわからない私。
挨拶もロクにできないまま、手を引かれてその場を後にした。
彼の表情は強張っている。何か気に障ることでもしてしまったのだろうか。
隼翔 「ったく」
香弥 「あの…。私、何か」
隼翔 「嫌なら嫌って言ってくれてよかったのに」
香弥 「な、なんのこと?」
隼翔 「花見。なんか俺に無理やり連れて来られた、みたいな顔してたから」
香弥 「え?私、そんな顔してた?」
隼翔 「うん。え、違うの?」
香弥 「違う違う。ちょっと考え事しちゃってて」
隼翔 「……はぁ。もう、なんだよ。ホントは俺に気を遣って来てくれたんじゃとか、無理させたのかなって
考えちゃったじゃん」
香弥 「そ、なんだ」
隼翔 「当たり前だろ。香弥が嫌だって思うこと、なるべくしたくないから」
香弥 N:本当に、本当に優しくて誠実な人。
私の自慢の恋人だけど、私にはもったいなく思ってしまう。
好きの一言さえも口にできない、そんな私には…。
* * * * *
隼翔 N:無事に就職が決まり、単位も卒論も問題なし。あとは卒業を待つだけ。
ここから離れることになるため、新居探しやら引っ越しの準備やらで、忙しいには忙しい。
それでも就活していた頃よりは、時間に余裕があった。
香弥 「お待たせ」
隼翔 「ん。じゃあ、行くか」
香弥 「うん。今日はお祝いしなきゃね」
隼翔 N:今日は就職が決まってから、最初のデートだった。
だからと言って何も変わったことはなく、手を繋ぐのも俺の方から。
それはとても自然で、夫婦と形容した友人は的を射ていたと思う。
彼女がいてくれたから、就職まで腐らずにやってこれた。それは確かだ。
だけどその中でさえ、メッセージのやり取りの中でさえ、俺が一番ヤル気になる魔法の言葉を、
彼女は言ってはくれなかった。
半ばそういうものだと、諦めてはいたけど。
香弥 N:就職先はここから遠いところだという。
私は一緒に卒業できないから、彼に付いて行くことはできない。
付いて行くにしても、大事なことを言えない私に、そんな資格はない。
『さっさと伝えればいいのに』
そんな声がどこからか聞こえてくる。
伝えたい。伝えたい。
勇気を振り絞って、たった2文字の言葉を吐き出すだけなのに、私にはそれができない。
香弥 「就職おめでとう!」
香弥 N:それ以外なら自然に伝えられるのに…。
隼翔 「ん、ありがと。香弥が応援してくれたからな」
香弥 「そ?そう言ってくれたら、私も嬉しい」
隼翔 「あとは引っ越しの荷物まとめて………。どうした?」
香弥 「……ううん。遠くに行っちゃうんだな、って」
隼翔 「まぁ、そうだな。でもそれは」
香弥 「うん。仕方ないもんね。わかってる」
隼翔 N:離れるからといって、俺たちの関係は変わらないと思っていた。
彼女とこれからも恋人でいたい気持ちはあったし、何より俺は彼女のことが好きだ。
口にはせずとも、彼女も同じ気持ちだと信じていた。
だけど…。
香弥 「……あのね、私隼翔に言わなきゃいけないことがあるの」
隼翔 「うん、なに?」
香弥 「私ね……」
隼翔 「うん」
香弥 「……他に好きな人ができたの。バイト先の先輩」
隼翔 「えっ…?」
香弥 「どっちも同じくらい好きだし、でも二股なんてありえない。だから一度、私に考える時間をください。
その間はこの関係もなしにして」
隼翔 「なしって…。それは別れる、ってことか?」
香弥 「……うん」
隼翔 N:動揺した俺は気づかなかった。彼女が俺に向けて"好き"と言ったことを。
求めていたのはもっと違う流れで、こういう時に聞くなんて思ってなかったからだ。
香弥 「だからお祝いもしたし、今日はもう帰るね」
隼翔 「え、あ…っ」
香弥 「じゃあね」
隼翔 N:彼女と別れたその場所は、思い出の桜並木だった。
昨日まで、枝に積もった雪が桜みたいだねって話もしていた。
呆然と立ち尽くす俺の目に映る枝には、もう雪なんてなかった。
* * * * *
香弥 「ぐすっ、ぐすっ」
香弥 N:大好きな人。私にはもったいないくらい優しい人。
それなのに私は、彼を傷つけた。別れを選んだ。
"好き"の一言も言えないこんな私を、ずっと大事にしてくれたのに。
涙が止まらない。
他に好きな人ができたなんて嘘まで吐いて、私は彼を遠ざけた。
彼にはもっと素敵な人がいるかもって考えたら、その選択肢しか見えなくなってしまった。
すべて自分に自信のない、臆病な私が招いた結果。
香弥 「ぐすっ。好きなのに……大好きなのに……っ」
香弥 N:彼のいない前では、こんなにも想いを口にできるのに、どうして…。
+ + + +
隼翔 「よかった。来てくれないかと思った」
香弥 「見送りくらい、ちゃんと来るよ」
隼翔 「そっか。はは…」
香弥 N:どこか元気のない彼。原因は私。
わかってるけど、涙で見送りはしないと決めていた。
隼翔 「考えがまとまったら連絡して。待ってるから」
香弥 「うん」
隼翔 「まさかこんなことになるなんて思ってなかったから、何て言ったらいいか…」
香弥 「うん」
隼翔 「ありがとう、香弥。これまでも、今日の見送りも、全部」
香弥 「うん。こちらこそありがとう」
隼翔 「………あの、さ」
香弥 「うん?」
隼翔 N:一時的な別れであったとしても、俺たちはもう恋人同士じゃない。
だけど俺が彼女を名前で呼ぶように、彼女にももう一度名前を呼んでほしかった。
香弥 N:これが最後なんだと思うと、堪えていた涙が零れ落ちそうになる。
本当は嘘だったんだって、好きなのは隼翔だけだって言いたくて、飛び付きたくて。
全部全部必死に我慢してるのに、やっぱり抱きしめてほしいと思って。
私の、最後のわがまま。
隼翔 「…っ」
香弥 「え?」
隼翔 「俺は好きだから。香弥のこと」
香弥 N:急に手を引かれ、強く抱きしめられた。耳元でそう囁かれた。
抱きしめてほしい、なんて口にしてないのに、私のわがままを叶えてくれた。
こんなの、泣くなって方が無理がある。
隼翔 N:抱きしめて、自分の懐に大好きな子がいて、それを幸せだと感じて。
待ってるなんて言ったけど、これが最後になるかもしれないなんて思いたくなかった。
もう気持ちは口にしなくていい。でも今は、その声で名前を呼んでほしい。
香弥 「ど、どうしたの?」
隼翔 「あ、いや…。ごめん、苦しかった?」
香弥 「ううん。……そろそろ時間じゃない?」
隼翔 「え?ああ、ホントだ。……それじゃあ」
香弥 「うん。いってらっしゃい、隼翔」
隼翔 「…っ!……いって、きます」
香弥 N:彼が改札を抜け、姿が見えなくなるまで私は目で追っていた。
だんだんと遠く離れていくにつれ、私の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていった。
香弥 「……はは、いってらっしゃい…かぁ。はは…」
香弥 N:"さよなら"と彼に言えなかったのが、私の気持ちのすべて。
"いってらっしゃい"は"ただいま"って言ってほしくて、"おかえり"って言いたいんだ。
それでも彼のためだと自分に言い聞かせる。
香弥 「……ばいばい」
* * * * *
隼翔 N:この二年、最初のうちは連絡を取り合っていた。もう恋人じゃなかったから、友達って括りで。
早く仕事に慣れようとしていたこともあり、徐々にこちらから連絡することも減っていって、いつの
間にかあの時ほどの気持ちはなくなっていた。
いや、好きは好きなんだと思う。
ただ自然消滅でもケンカ別れでもなかったことが、一つの要因なのかもしれない。
隼翔 「ここは変わらないな」
隼翔 N:あの時の俺たちと同じような大学生のグループが、近くでお花見をしていた。
そしてそこにも、俺と彼女のような二人を囃し立てる友人たちの姿があった。
数年前の出来事なのに、すでに懐かしい。
彼女を好きになったこと、彼女とここで過ごした日々を、俺は忘れることはないだろう。
何かを怖れて臆病だった彼女も、いつか本当に大切だと思える人ができた時、今度こそはちゃんと
気持ちを伝えてほしい。
暖かい日差し、春空の下、俺はそう思った。
隼翔 「さてと、また明日から頑張りますか」
+ + + +
香弥 N:それらしい後ろ姿を見つけて、私の中にはまだ彼がいるんだとわかった。
普段は無口なくせに、りんごみたいに赤くなった私をからかう彼の顔を思い出す。
それだけで胸が苦しくなる。涙が止まらなくなる。
いっそ忘れてしまえば、この気持ちもなかったことにできるのに。
香弥 「ぐすっ……でも、忘れるなんて、できないよ」
香弥 N:忘れられないから、なかったことになんてできないから、ああやって見間違いをしてしまうんだ。
そう自分に言い聞かせても、胸のトゲが消えることはない。
大好きだった人。私の愛した人。
あれから二年。
私はまだこの気持ちを離せずにいる。
≪ タイトルコール ≫
香弥 「二つの想いと、一つの嘘」
+ + + +
隼翔 N:たとえ彼女が思い出になったとしても、これだけは言える。
香弥 N:私たちが出会えたのは、神様のおかげだけれど。
隼翔 N:あの日々を過ごすことができたのは、俺たちの想いが重なったから。
香弥 N:時を巻き戻すことはできなくても。後悔することがあっても。
隼翔 N:出会いも経験もすべて、未来に繋がると信じたい。
彼女は俺にとって、そう思えるような人だったから。
香弥 N:いつか同じくらい好きな人ができたら、彼との出会いが、少しは私を変えてくれると信じて。
だから、それまでは――。
fin...