心はいつも… ≪ 前編 ≫
【テーマ】
愛しい人を想う気持ちの強さ
【登場人物】
山岡 遥(25) -Haruka Yamaoka-
仕事に追われるOL。
辛いことも祐二という彼氏がいることで乗り越えてきた。
藤島 祐二(27) -Yuji Fujishima-
誰にでも優しく接する男性。
遥のことを大切に想うがあまり、言えないことも。
村瀬 美希(25) -Miki Murase-
遥の元同僚。
同期で気が合った遥とは、退社後も仲良し。
城山 悟(26) -Satoru Joyama-
祐二の幼なじみ。
祐二と遥が付き合うきっかけをつくった。
祐二の母(53)
《注意(記号表記:説明)》
「」 → 会話(口に出して話す言葉)
M → モノローグ(心情・気持ちの語り)
N → ナレーション(登場人物による状況説明)
※ただし「」との区別をつけるため、MおよびNは、:(コロン)でセリフを表記する。
また“N”の中に心情(M)を含ませることもあり。
【本編】
遥 N:あなたの、大きな手が大好きだった。
あなたの、私を呼ぶ優しい声が大好きだった。
あなたの、温もりが大好きだった。
あなたの、笑顔が大好きだった。
私はあなたの傍にいるために、生まれてきたのだと思っていた。
でも…。
あなたはもう、私に笑いかけてはくれない。私の頭をなでてはくれない。
あなたは、私をおいて旅立ってしまった。
* * * * *
祐二 「ごめん、遥。なかなか仕事が片付かなくて…」
遥 「(ため息)はぁ、また同じ理由。で、ホントは?」
祐二 「(観念したように)……はい。ちょっと前まで寝てました」
遥 「何それ!まさか祐二、私との約束忘れてたんじゃ」
祐二 「そんなことねぇって!」
遥 N:私は怒ったふりをしてそっぽを向いた。彼が慌てるのを見るのが楽しかったから。
これが私たち二人のデートの始まり。どんなに待ち合わせ時間を指定しても、
必ずといっていいほど彼は遅れてくる。でも、いつもちゃんと来てくれる。
だから待つことはそんなに苦じゃなかった。
祐二 「(眠そうに)……ふわあぁ…」
遥 「………さいってー。仮にもデート中だっていうのに」
祐二 「あ、ごめん」
遥 「なに?最近仕事忙しいの?」
祐二 「ん?まぁ、そんなとこ」
遥 N:ただでさえ、お互い仕事をしているから平日はなかなか会うことができない。
でもその分、休みの日は別れるのが辛くなるほど、ずっと一緒だった。
祐二と付き合ってもうすぐ3年。私はこれからもずっと、祐二と一緒だと思っていた。
遥 「無理しないでよ」
祐二 「わかってる」
遥 N:ちょっと前から気になってた。祐二は私といるときでも、眠そうな顔をする。
今までそんなことはほとんどなかった。でも、ただ眠いだけなら気にすることじゃない。
それ以外はいつもと同じ彼だったから。
祐二 「………っ」
遥 「どうしたの?」
祐二 「あ、いや…」
遥 「(察して)ひょっとして、お腹空いた?」
祐二 「う、うるさい。仕方ないじゃん」
遥 「それだけダッシュして来てくれたってことで、遅刻の件は許してあげよう」
祐二 「はは、さーんきゅ」
遥 N:軽い食事を終え、店の外に出ると、彼は私の手を取っていつもの場所へと足を向ける。
そこは近くの公園。食事のあとは、空を見ながらベンチに座って話をする。
そんな他愛もない時間が私はとても好きだった。
遥 「…祐二」
祐二 「ん?」
遥 「今度さ、休み合わせて旅行行こうよ」
祐二 「そうだなぁ…」
遥 「もうすぐ付き合って3年経つしさ」
祐二 「……そう、だな」
遥 N:珍しく寂しそうな顔を見せた彼。不思議に思い、声をかけようとすると彼の携帯が鳴る。
祐二 「あ、悪い。ちょっと待ってて」
遥 N:彼は立ち上がって離れたところで誰かと話していた。
祐二 「ったく、悟だった。あいつ今日出張だから、土産は何がいいかだってさ」
遥 N:祐二の幼なじみの悟くん。私たちが付き合うきっかけになった人。
でも、どうして?
悟くんからの着信なら、私の傍で話したっていいのに…。
遥 「出張ってどこ?」
祐二 「千葉」
遥 「隣じゃん!もう、相変わらずだね、悟くん」
祐二 「ははは、だよな」
遥 N:彼の笑顔を見るだけで、さっきまでの不安な気持ちはどこかに飛んでいってしまっていた。
それから映画、ウインドウショッピング、そしてディナー。
楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、もう別れの時間となっていた。
祐二 「遥。明日早いんだろ?大丈夫なのか?」
遥 「わかってる。わかってるけど…」
遥 N:明日は会社の同僚だった美希の結婚式に呼ばれていたから、いつものように彼の家に
泊まることはできない。
それが仕方ないとわかっていても、やっぱり寂しいものは寂しい。
時間が過ぎても、私は彼から離れられないでいた。
祐二 「…まったく」
遥 N:祐二は私の体を抱き寄せ、その大きな手で包みこんでくれた。
祐二 「ちゃんと美希ちゃんをお祝いしてきな」
遥 「……うん」
遥 N:私は祐二の腕の中にいるとホッとした気持ちになる。
ああ、これが幸せなんだなって。
だから…。
遥 「ありがと。……そろそろ、行くね」
祐二 「ああ。おやすみ」
遥 「おやすみなさい」
遥 N:また会えるのに、会えることはわかっているのに…。
腕から離されただけで、手を離しただけで、私の心は彼を求めていた。
* * * * *
遥 N:それは突然の知らせだった。
会議中で電話に出られなかった私は、祐二からの電話を取ることができなかった。
会議が終わり、なんだろうとかけ直してみると、電話口に出たのは祐二のお母さん。
不思議に思っていた私は、そのあと信じられない言葉を聞いた。
祐二が、死んだ…?
遥 「……嘘…」
遥 N:ようやく口から出た言葉はそれがやっと。
ついこの間まで一緒に過ごしていた。いつもと変わらない彼。
離れることが不安な私を優しく抱きしめてくれた。なのに…。
祐二の母「(泣きながら)私たちも知らなかったの…。あの子、病気だったみたいで…」
遥 「そんな…。え…?私、知らない…」
祐二の母「そうだと思ったわ。あの子のことだから、きっと余計な気を遣わせたくなかったのね」
遥 N:先のない未来を一人で受け止めることはとても辛かったはず。
だけど祐二はそんな素振りを誰にも見せず、ずっと明るく変わらない笑顔で、
一人で闘っていたのだ。
祐二の母「まったく、ホントにあの子は」
遥 「でも、そんな大事なこと…っ」
祐二の母「そういう子だもの、昔から。優しすぎたのね、きっと……っ」
遥 N:彼の幼い頃を思い出したのだろう。お母さんは電話口で静かに泣いていた。
丁寧に話す彼女の気持ちが、痛いほど伝わってくる。
私にちゃんと伝えようという想いと、愛する息子を失った悲しみが混じり合いながらも、
一生懸命言葉にしていた。
祐二の母「……それじゃ、お通夜とお葬式の前に、また連絡するわね」
遥 N:静かに電話を切る。
今聞いたことはすべて夢で、いつか目が覚めて、隣で祐二が笑ってくれているのだと信じたかった。
でも今いるここは確かに現実で、そのあとにかかってきた悟くんからの電話もまた現実で…。
私は、何もかもを失った気持ちにさえなっていた。
窓の外、会社の喧騒がとても静かに感じた。
* * * * *
祐二の母「お通夜は明日になるけど、今日はゆっくりしていってね」
遥 「はい」
遥 N:上司に無理をいって休暇をもらった私は、祐二の実家に来ていた。
彼の実家はそう遠くないところにあったから、荷物もすでに届けられていた。
何度か来たことのある彼の実家。そしてその度に入った彼の部屋。
彼のにおいがまだ微かに残っている気さえするそこに、私は彼の姿をさがしてしまっていた。
もしかしたら、物陰からひょっこり出てくるのではないか、と。
遥 「……そんなこと、あるはずない…よね…」
遥 N:座り込んで、部屋を見渡す。
部屋の隅には、届いたばかりでまだ開けられていない荷物の箱。
静かにテープを破って開けてみると、その中にはどれも祐二の家で見たものが入っていた。
私は一つ一つ取り出して並べてみる。
遥 「…ふふ、こんなのあったんだぁ。あ、これ懐かしい…」
遥 N:一つ一つに思い出が詰まっている。私はそれを手に取り、彼と過ごした時間を思い出していた。
最後に出てきたのは、数冊のアルバム。
開くと、満面の笑みでこちらを見ている祐二の姿があった。
めくってもめくっても、その笑顔は変わらなくて、見ているだけで私は涙が溢れてきた。
友達と写っているときも、家族で写っているときも、いつだって笑顔だった彼。
もちろん、私と写っているときも…。
遥 「…はは、顔、真っ赤じゃん。これ初めて会ったときかな」
遥 N:悟くんの紹介で知り合ったこと。
初めてのデートで水族館に行ったこと。
夏には海に行って、帰りの電車で寝てしまっていたこと。
私が家に押しかけて無理やり泊まったこと…。
本当にいろんなことがあった。いろんなことがありすぎて…。
零れた涙を拭った私の目に、今まで見たことのない一冊のアルバムが映った。
遥 「こんなの、あったっけ…?」
遥 N:それまでのアルバムは私も彼の家で何度か見ていた。でもこれは…。
表紙に〝○秘(まるひ)〟と書かれたそのアルバムには、私が写っていた。
遥 「はは、こんなのいつ撮っ…」
遥 N:私は次をめくって、思わず固まってしまった。そしてすぐに次を、また次をめくっていく。
そのアルバムの中には、私だけが写っていた。覚えのあるものから、寝顔まで…。
いろんな顔をした私が、そこには写っていた。
+ + + +
祐二 「はーるかっ。こっち向いてー」
遥 「ちょ、なに撮ってんの!」
祐二 「残念。もう撮っちゃった」
遥 「もう、消してよ!」
祐二 「はいはい。ピッとな」
遥 「ホントに消した?ねぇ、祐二!」
+ + + +
遥 N:きっとこれはあの時の写真。
遥 「(無理して笑顔を作って)もう…っ。ちゃんと言ってくれたら怒らなかったのに…」
遥 N:笑ながら最後のページをめくる。そこにあった写真にだけ、横に言葉が書き込まれていた。
私はそれを指でなぞる。彼の字だとはっきりとわかる。
遥 「……は…るか、あい…して…」
祐二 『遥、愛してる』
遥 N:彼の声が聞こえた気がした。
瞬間、私の中につい先週の出来事がよみがえってきた。
ずっと堪えていた涙が、堰をきったように溢れ出る。
私はその場に泣き崩れてしまった。
もう聞くことのできない彼の言葉を抱きしめて…。
* * * * *
後編へ続く